原因(げんいん)16新潟(にいがた)水俣病(みなまたびょう)の発生原因(げんいん)

 
パネル16からパネル23までは、新潟(にいがた)水俣病(みなまたびょう)の発生原因(げんいん)について解説(かいせつ)しています。
このパネル16は、「新潟(にいがた)水俣病(みなまたびょう)の発生原因(げんいん)」に関係(かんけい)するパネル(16〜23)への目次パネルです。
 
▲上の画像(がぞう)をクリックすると、
パネル本体のデータを見られます。

原因(げんいん)17鹿瀬(かのせ)工場はなぜ建設(けんせつ)されたのだろう?

 
新潟(にいがた)水俣病(みなまたびょう)は、昭和(しょうわ)電工(でんこう)鹿瀬(かのせ)工場が阿賀野川(あがのがわ)に流した有機(ゆうき)水銀(すいぎん)原因(げんいん)となって、発生(はっせい)してしまいました。
このパネルでは、阿賀野川(あがのがわ)上流の阿賀町(あがまち)に、鹿瀬(かのせ)工場が建設(けんせつ)された理由を、さぐっていきます。
 
▲上の画像(がぞう)をクリックすると、パネル本体のデータを見られます。
 

(あま)った電気を使うために建設(けんせつ)された工場

 
1928年(昭和(しょうわ)3)年に、発電用に()てられた鹿瀬(かのせ)ダムは、完成(かんせい)した当時、電気が売れずに(こま)っていました。
 
この(あま)ってしまったダムの電気を使うため、1929(昭和(しょうわ)4)年に鹿瀬(かのせ)ダムのすぐ近くに建設(けんせつ)された工場が、昭和(しょうわ)電工(でんこう)鹿瀬(かのせ)工場でした。鹿瀬(かのせ)工場は、阿賀野川(あがのがわ)上流の山々から()れる石灰岩(せっかいがん)と、(あま)った電気を組み合わせて、ある(●●)製品(せいひん)生産(せいさん)し始めました。
 
完成(かんせい)したばかりの鹿瀬(かのせ)ダム
(写真提供(ていきょう)東北(とうほく)電力(でんりょく)株式会社(かぶしきがいしゃ)

 
 
鹿瀬(かのせ)工場が建設(けんせつ)されるきっかけは、鹿瀬(かのせ)ダムで(あま)った電気だったんだね。
製品(せいひん)生産(せいさん)を開始したばかりの鹿瀬(かのせ)工場
(写真所蔵(しょぞう)田辺(たなべ)修一郎(しゅういちろう)()

原因(げんいん)18鹿瀬(かのせ)工場が最初(さいしょ)生産(せいさん)した製品(せいひん)は?

 
鹿瀬(かのせ)ダムの(あま)った電気と、石灰岩(せっかいがん)という石を組み合わせて、ある製品(せいひん)生産(せいさん)し始めた鹿瀬(かのせ)工場。
このパネルでは、鹿瀬(かのせ)工場が最初(さいしょ)生産(せいさん)した製品(せいひん)と、その後、公害(こうがい)発生へとつながっていく流れをさぐっていきます。
 
▲上の画像(がぞう)をクリックすると、パネル本体のデータを見られます。
 

最初(さいしょ)主力(しゅりょく)製品(せいひん)肥料(ひりょう)

 
工場に運ばれた石灰岩(せっかいがん)を、電気の力で変化(へんか)させると、カーバイドという物質(ぶっしつ)になります。そのカーバイドをさらに変化(へんか)させると、「石灰(せっかい)窒素(ちっそ)」という肥料(ひりょう)製造(せいぞう)できました。
 
つまり、鹿瀬(かのせ)工場は最初(さいしょ)肥料(ひりょう)工場としてスタートしました。
 
▲(出典(しゅってん):「紙芝居(かみしばい)阿賀(あが)近代(きんだい)産業(さんぎょう)ものがたり』〔「阿賀町(あがまち)近代化(きんだいか)遺産(いさん)の光と(かげ)を通じたESD(イーエスディー)-SDGs(エスディージーズ)」小・中学校向け教材化(きょうざいか)プロジェクト・コンソーシアム〕)

 
 
肥料(ひりょう)は、新潟(にいがた)水俣病(みなまたびょう)を起こしそうな、危険(きけん)製品(せいひん)には見えないよね。
肥料(ひりょう)(ふくろ)につめて、ベルトコンベアーにのせている様子
(写真所有(しょゆう)新潟(にいがた)昭和(しょうわ)株式会社(かぶしきがいしゃ)

原因(げんいん)19鹿瀬(かのせ)工場がある地域(ちいき)を空からながめると…

 
鹿瀬(かのせ)工場がある地域(ちいき)は、かつて大勢(おおぜい)の人々がくらし、とても(さか)えていた時代がありました。
このパネルでは、鹿瀬(かのせ)工場がある地域(ちいき)の昔と今を、航空(こうくう)写真で見(くら)べることができます。
 
鹿瀬(かのせ)工場がある地域(ちいき)を、空からとった写真です。上が昔で、下が今の写真です。
 
▲上の画像(がぞう)をクリックすると、パネル本体のデータを見られます。

原因(げんいん)20鹿瀬(かのせ)工場のある地域(ちいき)は、かつて都会のようだった!

 
かつて鹿瀬(かのせ)工場は大勢(おおぜい)の人々が(はたら)く大工場で、工場の(まわ)りは都会のように(さか)えていました。
このパネルでは、鹿瀬(かのせ)工場のある地域(ちいき)の人々が、かつてどのようにくらしていたか、知ることができます。
 
▲上の画像(がぞう)をクリックすると、パネル本体のデータを見られます。
 

2,000〜3,000名が(はたら)く大工場に!

 
食料(しょくりょう)不足(ふそく)していた終戦(しゅうせん)直後の日本では、鹿瀬(かのせ)工場の肥料(ひりょう)が売れに売れ、工場で(はたら)く人々は2,000〜3,000名にまで()えました。
 
工場のまわりには、(はたら)く人たちが家族といっしょに住むための住宅(じゅうたく)のほか、デパートや映画館(えいがかん)、プールや幼稚園(ようちえん)などができて、都会のようなにぎやかさとなりました。
 
▲朝、工場に出勤(しゅっきん)するため、工場の正門から入る人々
(写真所有(しょゆう)新潟(にいがた)昭和(しょうわ)株式会社(かぶしきがいしゃ)

 
 
当時は、都会にあるようなさまざまな施設(しせつ)があったし、子どもたちも、本当にたくさんいたんだね!
▲(出典(しゅってん):「紙芝居(かみしばい)阿賀(あが)近代(きんだい)産業(さんぎょう)ものがたり』〔「阿賀町(あがまち)近代化(きんだいか)遺産(いさん)の光と(かげ)を通じたESD(イーエスディー)-SDGs(エスディージーズ)」小・中学校向け教材化(きょうざいか)プロジェクト・コンソーシアム〕)

原因(げんいん)21肥料(ひりょう)からアセトアルデヒドの製造(せいぞう)へ、
鹿瀬(かのせ)工場は主力(しゅりょく)製品(せいひん)変更(へんこう)

 
昭和(しょうわ)30年代、赤字に苦しんでいた鹿瀬(かのせ)工場は、アセトアルデヒドを製造(せいぞう)し始めます。
このパネルでは、アセトアルデヒドを製造(せいぞう)し始めた理由や、公害(こうがい)発生につながる理由をさぐります。
 
▲上の画像(がぞう)をクリックすると、パネル本体のデータを見られます。
 

鹿瀬(かのせ)工場が大赤字へ

 
終戦(しゅうせん)直後は好調(こうちょう)だった肥料(ひりょう)もやがて利益(りえき)が出なくなり、3,000名もの人々が(はたら)いていた鹿瀬(かのせ)工場は、毎月のように大赤字に苦しむようになっていきました。
 
終戦(しゅうせん)直後は好調(こうちょう)だった肥料(ひりょう)

▲プラスチックやビニルなどの(しん)素材(そざい)
 

アセトアルデヒドを必要(ひつよう)とし始めた日本の社会

 
一方、日本では、終戦(しゅうせん)から10年たった1955(昭和(しょうわ)30)年ごろから、テレビや洗濯機(せんたくき)などの家庭(かてい)電化(でんか)製品(せいひん)()ぶように売れ始め、それらにはプラスチックやビニルなどの(しん)素材(そざい)が多く使われていました。実は、そうした(しん)素材(そざい)原料(げんりょう)となるアセトアルデヒドという物質(ぶっしつ)は、カーバイドからも製造(せいぞう)することができました。
 

 

アセトアルデヒドの製造(せいぞう)

 
こうして、鹿瀬(かのせ)工場は肥料(ひりょう)製造(せいぞう)をやめて、アセトアルデヒドを製造(せいぞう)するようになりました。しかし、このアセトアルデヒドを製造(せいぞう)する過程(かてい)で発生する有機(ゆうき)水銀(すいぎん)新潟(にいがた)水俣病(みなまたびょう)の発生につながりました。
 
▲アセトアルデヒド製造(せいぞう)プラント
出典(しゅってん):「鹿瀬(かのせ)工場タイムス」〔昭和(しょうわ)電工(でんこう)株式会社(かぶしきがいしゃ)〕)

原因(げんいん)22有機(ゆうき)水銀(すいぎん)排水口(はいすいこう)から阿賀野川(あがのがわ)

 
アセトアルデヒドを製造(せいぞう)する最中(さいちゅう)有機(ゆうき)水銀(すいぎん)が発生して、工場排水(はいすい)とともに阿賀野川(あがのがわ)へ流れ出ていました。
このパネルでは、なぜ有機(ゆうき)水銀(すいぎん)が流れ出たのか、なぜ工場は公害(こうがい)を起こしてしまったのかをさぐります。
 
▲上の画像(がぞう)をクリックすると、パネル本体のデータを見られます。
 

阿賀野川(あがのがわ)へ流れ出ていた有機(ゆうき)水銀(すいぎん)

 
アセトアルデヒドを製造(せいぞう)する(さい)に使われていた無機(むき)水銀(すいぎん)が、有機(ゆうき)水銀(すいぎん)へと変化(へんか)して工場の排水(はいすい)にふくまれ、排水口(はいすいこう)から阿賀野川(あがのがわ)へと流れ出ていました。
 
こうして、(きゅう)昭和(しょうわ)電工(でんこう)鹿瀬(かのせ)工場は、新潟(にいがた)水俣病(みなまたびょう)という公害(こうがい)を発生させてしまいました。
 
有機(ゆうき)水銀(すいぎん)が流れ出ていた、当時の排水口(はいすいこう)
(写真所蔵(しょぞう)坂東(ばんどう)克彦(かつひこ)()

 
 
工場はこの後、どのような排水(はいすい)対策(たいさく)をしたのかな?
現在(げんざい)排水口(はいすいこう)(写真撮影(さつえい)山口(やまぐち)冬人(ふゆと)()

原因(げんいん)23公害(こうがい)が発生した昭和(しょうわ)30〜40年代の日本を知ろう!

 
新潟(にいがた)だけではなく、全国各地(かくち)公害(こうがい)が発生していた昭和(しょうわ)30〜40年代の日本。
このパネルでは、昭和(しょうわ)30〜40年代の日本の「光と(かげ)」と、四大(よんだい)公害(こうがい)のその後をさぐります。
 
▲上の画像(がぞう)をクリックすると、パネル本体のデータを見られます。
 

高度(こうど)経済(けいざい)成長期(せいちょうき)ってなに?

 
日本では、1955(昭和(しょうわ)30)年ごろから、経済(けいざい)奇跡的(きせきてき)成長(せいちょう)する景気(けいき)()い時代が、15年以上(いじょう)にわたって(つづ)きました。この時期のことを、「高度(こうど)経済(けいざい)成長期(せいちょうき)」と()びます。
 
この時期に、日本の産業(さんぎょう)がさかんになって、全国で家電(かでん)製品(せいひん)が多く買い(もと)められるなど、人々のくらしが大変(たいへん)(ゆた)かになりました。
 
最初(さいしょ)のヒット家電(かでん)三種(さんしゅ)神器(じんぎ)
(写真所有(しょゆう):電気の史料館(しりょうかん)

 

四大(よんだい)公害(こうがい)ってなに?

 
昭和(しょうわ)30年代の終わりごろまで、日本では産業(さんぎょう)発展(はってん)に力を入れるあまり、環境(かんきょう)や人々の健康(けんこう)はあまり大切にされなかったため、各地(かくち)公害(こうがい)が発生してしまいました。
 
その中で、(とく)被害(ひがい)が大きかったものが、「四大(よんだい)公害(こうがい)」とよばれました。
 
イタイイタイ病
▲医者にみてもらう被害者(ひがいしゃ)
出典(しゅってん):「婦中(ふちゅう)町史(ちょうし)」〔婦中町(ふちゅうまち)〕)
 
神岡(かみおか)鉱山(こうざん)
出典(しゅってん):「神岡(かみおか)鉱山(こうざん) 写真史(しゃしんし)」〔三井(みつい)金属(きんぞく)鉱業(こうぎょう)株式会社(かぶしきがいしゃ)〕)
 
水俣病(みなまたびょう)
水俣病(みなまたびょう)被害者(ひがいしゃ)の手
出典(しゅってん):「アルバム戦後(せんご)25年 ミズーリから万国博(ばんこくはく)まで」〔朝日(あさひ)新聞社(しんぶんしゃ)〕)
水俣病(みなまたびょう)を発生させた化学工場
出典(しゅってん):「写真集 熊本(くまもと)100年」〔熊本(くまもと)日日(にちにち)新聞社(しんぶんしゃ)〕)
 
四日市(よっかいち)ぜんそく
公害(こうがい)マスクをして登校する小学生
出典(しゅってん):「四日市(よっかいち)市史(しし) 第19(かん) 通史(つうし)(へん) 現代(げんだい)」〔四日市市(よっかいちし)〕)
▲煙を出す石油化学コンビナート
出典(しゅってん):「目で見る四日市(よっかいち)の100年:四日市(よっかいち)商工会議所(しょうこうかいぎしょ)創立(そうりつ)100周年(しゅうねん)記念(きねん)特集号(とくしゅうごう)四日市(よっかいち)商工会議所(しょうこうかいぎしょ)〕)

 

四大(よんだい)公害(こうがい)のその後と
国の対応(たいおう)対策(たいさく)

 
昭和(しょうわ)40年代に入ってから、新潟(にいがた)水俣病(みなまたびょう)(うった)えをきっかけに、四大(よんだい)公害(こうがい)裁判(さいばん)が次々と起こされ、公害(こうがい)を発生させてしまった会社の責任(せきにん)(きび)しく追及(ついきゅう)されました。
 
公害(こうがい)をくり返さないために、四大(よんだい)公害(こうがい)裁判(さいばん)が進む中で、環境(かんきょう)や人々の健康(けんこう)を守るさまざまな法律(ほうりつ)などが、国によってつくられました。
 
裁判(さいばん)に勝って(よろこ)ぶ、イタイイタイ病の被害者(ひがいしゃ)支援者(しえんしゃ)
出典(しゅってん):「婦中(ふちゅう)町史(ちょうし)」〔婦中町(ふちゅうまち)〕)

 
このYouTube(ユーチューブ)動画では、新潟水俣病(にいがたみなまたびょう)の発生原因(げんいん)について紹介(しょうかい)するシーンから、動画が流れます。
 

 
 

その他のパネルはこちらから!

 

阿賀野川(あがのがわ)が流れる地域(ちいき)紹介(しょうかい)したパネルです。
パネル02〜


新潟(にいがた)水俣病(みなまたびょう)被害(ひがい)について解説(かいせつ)したパネルです。
パネル10〜


新潟(にいがた)水俣病(みなまたびょう)のその後について解説(かいせつ)したパネルです。
パネル24〜